冷えた部屋でヨガをする。冬の体は動きにくい、という前提から

暮らしとヨガ

ロール状に巻かれたヨガマットの近景

冬になって、部屋が寒くて、マットを広げるところまで気持ちが動かない。起きた直後の床が冷たくて、足を下ろすのをためらう。ヨガを始めてみたい、あるいは少し続けてきたけれど、この季節になって足が止まっている。そんな方に向けた記事です。

先に結論を置きます。冬の動きにくさは、練習を止める理由ではなく、練習の材料になります。 冷えた体は、思うように動きません。その一方で、感覚のほうは鋭くなります。動かしにくさと、感じやすさが同時に来る。私は、この組み合わせが冬のヨガのいちばん面白いところだと考えています。

私の住む町の、冬の朝

私は北海道の中川町に住んでいます。道北と呼ばれる地域で、冬は長く、朝の気温が氷点下二桁まで下がる日も珍しくありません。

暖房を入れる前の部屋は、はっきりと冷えています。布団から出て床に足を下ろすと、そこだけ温度が違うことが分かる。木の床は特に冷たくて、素足で立っていると、足裏から順に体が縮んでいきます。息は白い。肩は、意識しなくても上がっています。

この状態で、私は何度も、今日はやめておこうと思ってきました。寒さは、練習をしない理由として、とてもよくできています。毎朝ほぼ同じ強さでやってくるうえに、体のほうも実際に動かない。理由としての説得力があるのです。

それでも、冬のあいだにマットを広げた日のことを思い返すと、夏とは違うものが残っています。それが何なのかを、ここで言葉にしてみます。

冷えた体は、感覚が鋭くなる

まず観察として書けることがあります。冷えた体でヨガをすると、感覚が敏感になります。

寒い朝に前屈をすると、どこが硬いのかが、はっきりと分かります。夏の体では、なんとなく全体が曲がっていくような感じで済んでいた動きが、冬には、腿の裏のここ、腰のここ、と輪郭を持って返ってくる。床に触れた手のひらの温度差も、呼吸で胸郭が動く範囲も、夏より細かく感じ取れます。

なぜそうなるのか、私は医学的に説明することはできません。ですから、ここは事実として書ける範囲に留めます。私の場合は、冷えた部屋での練習のほうが、自分の体から届く情報の解像度が上がったと感じています。

そして同時に、体は動きません。可動域は明らかに狭く、いつもの位置まで行かない。感覚は鋭いのに、動きは小さい。冬の体は、この二つを同時に抱えています。

陽の当たる木の床で、ヨガマットを巻いている手元

動かしにくさも、自分の体の情報です

ヨガで一番大事なことは何かと聞かれたら、私は、自分の身体を知ることだと答えます。ポーズの形を増やすことでも、深く曲がるようになることでもなく、今の自分の体がどういう状態にあるかを知ること。伝統的にも、体を使う実践は、その先にある観察のための土台として扱われてきたと言われています。

だとすると、冷えている状態の自分の体も、知っておくべきものの一つということになります。

暖かい部屋で、体がよく動く日の自分だけを知っていても、それは自分の体の一面でしかありません。冷えて縮こまって、思うように動かない日の自分も、同じ自分の体です。冬は、その顔を毎朝見せてくれる季節です。

ここから先は私の判断になりますが、冬の練習を「調子の悪い時期」として片づけてしまうのは、もったいないと思っています。根拠は単純で、冬に感じられる体の情報は、夏には手に入らないからです。一年のうち、体が縮んだ状態で自分を観察できる機会は、この季節にしかありません。

「意志の力で動かす」の意味

冬の朝は、動きにくい。そこを自分の意志の力で動かしていくことが、体にとっても、精神にとっても大事だと私は考えています。

ただし、ここは誤解されやすいところなので、はっきり書いておきます。意志の力で動かすというのは、無理に動かすという意味ではありません。

冷えた体を急に大きく動かすと、筋肉や関節を痛めやすくなります。冬に可動域を広げにいくのは、私は勧めません。夏に届いていた位置を目標にして、そこまで引っ張ろうとするのは、けがに近づく方向です。

では、意志の力はどこで使うのか。私の場合、いちばん力が要るのは、体を動かす場面ではありませんでした。布団から出て、冷たい床にマットを広げて、座るまで。ここです。座ってしまえば、あとは呼吸が引き継いでくれます。

動きそのものは、小さくてかまいません。首をゆっくり回す。手首と足首を動かす。背中を丸めて、反らす。それだけでも、冬の朝には十分に仕事をしています。意志の力は、大きく動くために使うのではなく、始めるために使う。私はそう整理しています。

ハタ、という言葉のこと

ヨガの歴史はおよそ2500年前にさかのぼると言われています。そのなかで、体を使う実践が体系として整えられたのは比較的あとのことで、ハタヨガの成立は8世紀前後とされることが多いようです。

この「ハタ」という言葉は、サンスクリット語で「力」や「強引さ」を意味するとも言われています。一方で、ハが太陽、タが月を指し、その二つの調和を表すという解釈も伝えられています。どちらが正しいかを私が断定することはできませんが、力という意味が含まれているという説には、冬の朝に納得するところがあります。

ニヤマ(勧戒)のなかに、タパスという項目があります。鍛錬、自己を律することなどと訳されますが、語源としては「熱する」「燃やす」といった意味を持つ言葉だとされています。

冬の朝、冷えた部屋でマットを広げようとするときに働いているものは、このタパスに近いのではないか。これは私の解釈で、伝統的な定義としてそう決まっているわけではありません。それでも、寒さを相手にしている自分の状態を説明する言葉として、私はこの語を思い出すことがあります。

朝の光が差し込む静かな部屋の窓とカーテン

冬は、体の新しい使い方を覚える時期

もう一つ、冬にしか起きないことがあります。いつものやり方が通用しないので、別のやり方を探すことになる、という現象です。

夏の体なら、勢いと可動域で通過できていた動きが、冬には途中で止まります。止まると、そこで何が起きているかを見ることになります。腰から折ろうとして止まっているのか、膝を伸ばしきろうとして止まっているのか。膝をゆるめて骨盤から動かしてみると、同じ前屈でも進み方が変わることがあります。

つまり、動かないことが、体の使い方を組み替えるきっかけになります。私は、冬のヨガのいちばん実用的な効用はここにあると考えています。うまくいっているときは、やり方を変える必要がありません。うまくいかないときにだけ、別の道筋を探す作業が始まります。

冬の動きにくさは、その意味で、障害というより条件です。意志の力を試す場であり、体の新しい使い方を覚える機会でもある。そう思って冬に入ると、毎朝の寒さの受け取り方が少し変わってきます。

暖房前の朝にできる、最初の一歩

長い練習を組む必要はありません。冷えた部屋で始めるときの、現実的な手順を書いておきます。

  • 服装は厚いままでよい。靴下もはいたままで構いません。薄着になってから動き始める必要はありません
  • 床の冷たさは、下に一枚敷いて和らげる。マットの下にブランケットやラグを敷くだけで、床から受ける冷たさは変わります
  • 最初は座ったまま、呼吸を10回。特に、息を吐ききるところを丁寧に。吸うほうは、自然に入ってくる分だけで足ります
  • 手首、足首、首をゆっくり回す。関節から始めて、大きな動きは後に回します
  • 背中を丸める、反らすを数回。四つ這いで、可動域を求めずに、動く範囲だけ動かします
  • 立って、山のポーズで1分。足裏のどこに重さが乗っているかを見ます
  • ここまで来て、体が起きてきたと感じたら、いつもの練習に入ります

全部で5分でも成立します。冬は、その日にどこまで進めたかより、マットの上に座れたかどうかのほうが意味を持つ季節だと、私は感じています。

体が縮んでいる朝は、立位のバランスのポーズも普段より崩れやすくなります。壁の近くで行う、手をつける場所を確保しておくといった備えがあると、安心して動けます。

冬を越す、ということ

冬は、一日休むと次の日も休みやすい季節です。寒さは毎朝ほぼ同じ強さで届くので、やらない理由のほうが安定して供給され、気づくと春まで間が空いていることがあります。

始めることと、続けることは別の課題だと私は考えています。続けやすさを目的にした、無料のオンラインヨガクラスを開いています。日曜の夜に75分、水曜の朝と夜に30分ずつ。自宅から参加でき、決まった曜日と時間に開いているので、寒くて自分では始められない朝の、置き場所として使えます。予約は不要です。

free-yoga-japan.com


画像: Pexels

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