プラーナとは何か。呼吸の先にあるもの

呼吸と瞑想

呼吸を意識するようになった人が、次に出会う言葉があります。プラーナ。ヨガの本を開くとよく出てくるのに、訳語を読んでも輪郭がつかみにくい言葉です。この記事は、呼吸を数えることには慣れてきた、けれどその先に何があるのかは分からない、という段階にいる方に向けて書いています。

結論から書きます。プラーナは、止まった状態のままでは認識しにくいものだと考えています。流れを持ったときに、初めて分かる。呼吸を意識するという行為は、そのプラーナに流れを与えることにあたります。だから「呼吸の先にプラーナがある」という順序は、理屈ではなく体感として成り立ちます。

プラーナは「気」と訳されてきた

プラーナはサンスクリット語の言葉で、日本語では「気」「生命エネルギー」「生命の息吹」などと訳されることが多いようです。ヨガの伝統では、私たちの身体はこのプラーナによって生かされているとされ、呼吸法(プラーナーヤーマ)は、そのプラーナを整え、広げるための技法として位置づけられてきました。

ただし、プラーナが具体的に何であるかについては、古典の中でも語り方が一様ではありません。物質なのか、はたらきなのか、その両方なのか。解釈には幅があり、現代の解説書でも書き手によって説明が変わります。ここでは、断定を避けて進めます。

説明としてよく使われるのは「粒子」という言葉です。細かな粒として空気の中に満ちていて、それを呼吸とともに取り込んでいる、という見立て。分かりやすい説明ですが、私はこの説明だけでは足りないと感じています。理由は単純で、粒子の段階では、私たちはそれを認識できないからです。

透明な水は、川になった瞬間に分かる

ここからは、私自身がプラーナをどう捉えているかという話になります。

透明な水そのものを認識するのは、実はとても難しいことです。コップに注がれた水を見て、私たちは「水がある」と分かった気になりますが、それは容器の形や光の屈折から推測しているだけとも言えます。無色で、無味で、動かない状態の水は、輪郭を持ちません。

ところが、その水が流れて川になった瞬間、私たちは水を理解します。岩をよけて曲がる、段差で白く砕ける、光を反射しながら下っていく。動きが生まれた途端に、それまで見えなかったものが姿を現します。

苔むした岩の間を流れる、透明な渓流のクローズアップ

プラーナも、これと同じような感覚で捉えられるのではないかと考えています。粒子として空間に散らばっている段階では、私たちの感覚には引っかからない。それが流れを持ったとき、つまり身体の中を移動し始めたときに、初めて「何かが通っている」と分かる。

この見方には根拠があります。呼吸を止めているとき、私たちは自分の中のプラーナについて何も感じません。感じられるのは、吸っている最中と吐いている最中、そして吐ききったあとの静けさの中です。いずれも、何かが動いている、あるいは動き終えた直後の状態です。止まった水ではなく、川になったときに分かる。この順番は、実際に呼吸を意識してみると確かめられます。

呼吸を意識するとは、プラーナに流れを与えること

そう考えると、「呼吸を意識する」という言い方の意味が少し変わってきます。

呼吸を意識するのは、酸素をたくさん取り込むためだけの行為ではありません。ヨガの伝統的な見方に沿うなら、それは自分の中にあるプラーナを、意図的に動かす行為です。ゆっくりと吸い、ゆっくりと吐く。その速度を自分で選ぶことによって、流れの太さと向きが変わります。

だから、呼吸法を学ぶときに「回数」や「秒数」だけを追いかけると、肝心なところが抜け落ちてしまいます。4秒吸って8秒吐く、という数字は目安として役に立ちますが、目的ではありません。目的は、流れを感じられる状態に自分を置くことのほうです。

伝統の中では、どう語られてきたか

プラーナという言葉は、ヨガの歴史のかなり早い段階から使われてきました。ヨガの源流をたどると2500年以上の蓄積があると言われていますが、プラーナへの言及は古代の聖典であるウパニシャッドの中にすでに見られ、生命を支えるはたらきとして語られています。

伝統的には、プラーナは一つのはたらきではなく、身体の中で役割の異なる複数の流れとして分けて考えられてきました。上に向かうもの、下に向かうもの、全身に広がるもの。細かな分類は流派や文献によって説明が異なりますが、共通しているのは、方向を持ったもの、つまり流れとして捉えられているという点です。止まった何かとしては語られていません。

呼吸法が体系としてまとめられ、身体の技法と結びついていったのは、ハタヨガの流れが整っていった中世以降だと言われています。姿勢を整え、呼吸を整え、そのうえで心を静めるという順序は、この時期の文献に繰り返し出てきます。順序が決まっているのは、おそらく、身体が落ち着いていないと流れが感じ取れないからだと思います。

プラーナが満ちているとき、人は満ち足りている

もう一つ、体感として書いておきたいことがあります。

プラーナが満ちているときには、まさに満ち足りているという感覚があります。これは特別な感覚ではありません。私たちが日常で知っている充足感、たとえば喉が渇いているときに水を飲んだあとの感覚、空腹のときにご飯を食べたあとの感覚に近いものです。

抽象的な「気」の話が急に身近になるのは、この接続があるからだと思います。プラーナを取り込むというのは、遠い世界の修行者だけの話ではなく、飲むことや食べることと地続きの、身体の当たり前のはたらきとして捉えられます。

一つ、はっきり書いておきます。プラーナが満ちれば不調が消える、といったことは書けませんし、書くべきでもありません。ここで扱っているのはあくまで感覚の話であって、身体の治療の話ではないためです。

自宅でできる、次の一歩

呼吸を意識することにはもう慣れた、という方への次の一歩は、呼吸の先にあるプラーナを、身体全体に行き渡らせてみることです。

やり方は難しくありません。無理のない範囲で、次のように進めてみてください。

  1. 座っても、立っても、横になってもかまいません。楽な姿勢をとります
  2. まず、息を吐ききります。吐ききることが先で、吸うのはそのあとです
  3. 吸うときに、空気が肺に入るというより、何かが身体の中に取り込まれていくという見方をしてみます
  4. 吐くときに、その取り込んだものが、指先や足の裏のほうまで行き渡っていくところを想像します
  5. 三回でも五回でも、続けられる範囲でやめます

窓辺の明るい静かな部屋で、ヨガマットを抱えて立つ人

初めのうちは、何も感じられないかもしれません。それで問題ありません。透明な水が動き出すまでに少し時間がかかるように、流れとして分かるまでには、何度か繰り返す必要があります。身体が硬くても、動きが小さくても、この実践に支障はありません。座ったまま、目を閉じるだけでできます。

呼吸法の細かな技法、たとえば息を保つ練習などについては、ここでは触れません。順序があり、独学で急ぐと身体に負担がかかることもあるためです。まずは、吐ききることと、行き渡らせること。この二つだけで十分に足ります。

呼吸を数えられるようになった人が次に気づくのは、吐ききったあとに、身体の内側が静かに入れ替わっているような感覚かもしれません。ただ、その感覚を一人で確かめ続けるのは、思ったより根気が要ります。

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画像: Pexels

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