
ヨガの途中で、理由もわからないまま涙が出てきた。そんな話を聞いたことがあるかもしれません。あるいは自分自身にそういう経験があって、あれは何だったのだろうと引っかかっている方もいるかもしれません。
この記事は、ヨガに興味はあるけれどまだ踏み出せていない方、とくに「自分は感情をふさいでいるかもしれない」という自覚のある方に向けて書いています。
涙は、感情が流れているだけ
結論から書きます。
ヨガの実践の中で涙が出ることは、珍しいことではありません。そしてそれは、一時的な感情の流れによって出るものだというのが、私の捉え方です。
何かを乗り越えた証でも、特別な状態に到達したしるしでもありません。感情が動いて、それが涙という形で外に出た。それ以上でも以下でもない、と考えています。
涙の話は、股関節や胸を開くポーズをきっかけに語られることが多いようです。そういうこともあると言われていますが、ここではもう少し輪郭のはっきりした技法を軸に書きます。トラタカ(凝視法)と呼ばれる、ろうそくの炎を見つめる浄化法です。
トラタカ — ろうそくの炎を見つめる浄化法
トラタカは、じっとろうそくを見つめる浄化法の一つです。
炎を見て、目が開いている状態でいる。ただそれだけの技法なのですが、しばらく続けていると、そこにいろいろなものが見えてくる時があります。そしてその時に、何とも言えない感情が湧き出して、涙が流れるということがあります。
何が見えてくるのかは、人によって違います。ここを神秘的なものとして意味づける必要はない、というのが私の考えです。目を開いたまま一点に視線を置き続けるという、身体にとってはやや特殊な状態が続く。その中で、普段は表に出てこない感情が動く。そういう順序で起きていることだと捉えると、扱いやすくなります。
「涙が出た」ことを、達成や覚醒のように語る言葉には注意が要ります。技法があり、身体と感情の反応がある。トラタカと涙の関係は、その範囲で十分に説明がつきます。
涙は、一回出し切ってしまう

涙の扱い方について、私にははっきりした姿勢があります。
一回出し切ってしまうことです。
これはあくまで一時的な感情の流れによって出る涙なので、途中で止める必要はありません。止めようとすると、流れかけていたものがそこで滞ります。出るなら出しきってしまったほうが、後がずっと静かになります。
ここで一つ、取り違えてほしくない点があります。「出し切る」というのは、無理に感情を吐き出しにいくという意味ではありません。掘り起こす作業でも、泣くことを目的にする時間でもない。出てきたものを止めない、というだけの話です。
涙が出なければ、それでいい。出たら、止めない。この二つを持っておくだけで、実践の中で感情が動いたときに慌てなくて済みます。
止めようとしてしまう気持ちは、よくわかります。人前で泣くことに慣れていない方は多いですし、涙が出た理由を自分でも説明できないと、なおさら戸惑うものです。ただ、説明できないまま流していい涙もあります。理由を先に見つけようとすると、感情のほうが引っ込んでしまうことのほうが多いようです。
「開く感覚」を養うということ
この話が、いちばん意味を持つ相手がいると思っています。
感情を防ぎきっている人です。
感じないようにする習慣が長く続くと、それは意識的な我慢ではなくなり、身体の構えとして固定されていきます。悲しいのかどうかも、疲れているのかどうかも、自分ではよくわからなくなる。そういう状態は、本人にとってはむしろ静かで、問題があるようには見えないことも多いようです。
そういう方にとって、トラタカは「開く感覚」を養う意味でとても有意義だ、というのが私の見方です。
理由は単純で、この技法が閉じる方向の反対側にあるからです。目を閉じて内側に潜るのではなく、目を開いたまま一点に向き合い続ける。防ぐのではなく、入ってくるものを受け取る状態に身体を置く。その姿勢を、身体のほうから思い出していく手順だと考えています。
感情を開くことを、頭で決意して実行するのは難しいものです。けれども、開いた状態に身体を置いておくことなら、技法として用意できます。トラタカが有意義だと感じるのは、この順序のためです。
ヨガの伝統の中の浄化法
トラタカは、ヨガの長い歴史の中に位置づけられている技法です。
ヨガの歴史は2500年以上にわたると言われています。その中でハタヨガの体系は8世紀ごろから形になり、15世紀の文献『ハタヨガ・プラディーピカー』などに具体的な実践が記述されているとされています。
トラタカは、そのハタヨガの伝統においてシャットカルマ(六つの浄化法)の一つに数えられていると言われています。サンスクリット語で「じっと見つめること」を意味する語だとされ、身体を清める一連の技法の中に置かれてきました。
伝統的には、集中力を養い、心の働きを整えるための準備として扱われてきたようです。ここから先の解釈は流派によって幅があるので、断定はしません。ただ、ろうそくの炎を見つめるという素朴な行為が、これだけ長い時間をかけて残されてきたという事実には、それだけの理由があるのだろうと思っています。
無理に引き出そうとしないこと
いくつか、先に書いておきたいことがあります。
まず、涙を目的にしないこと。出ないことは何の問題でもありません。涙が出た人と出なかった人の間に、進み具合の差があるわけでもありません。
次に、つらい記憶を強く抱えている方について。感情を強く抑えている状態には、それが必要だった理由があることも多いものです。無理に開こうとして苦しさが増すようであれば、そこで止めてください。必要に応じて、カウンセラーなど専門家に相談するという選択肢も、同じくらい真っ当な進め方です。ヨガはそれを代わりに引き受けるものではありません。
そして、目の疾患がある方。トラタカは目を開いたまま続ける技法なので、目に不安がある場合は事前に確認しておくのが無理のない進め方です。
自宅でできる最初の一歩

トラタカの具体的な手順は、ここでは書きません。凝視の時間や炎との距離には配慮が要る技法なので、最初は指導のある場で試すほうが安全です。
そのうえで、今日から自宅でできることを挙げるなら、この二つです。
- 火を一つ灯して、部屋の明かりを落とす。何も技法を行わなくて構いません。炎がある部屋で、しばらく座ってみる。それだけでも、視線と呼吸の落ち着き方が変わります
- 息を吐ききってから、ゆっくり吸う。これを数回繰り返します。呼吸を整えることは、感情が動いたときに自分を支える手すりになります
もし途中で何かの感情が動いたら、止めなくて大丈夫です。動きが小さくても、何も起きなくても、それはそれで構いません。うまくできたかどうかを採点する時間ではありません。
感情が動くことを、許しておく
涙が出ることを、特別な出来事として扱う必要はありません。同時に、なかったことにする必要もありません。感情が動いて、流れて、収まる。その一連を身体に通しておくことが、感情をふさいできた方にとっては、いちばん静かな回復の仕方なのだと思います。
ここまで読んで、自分の感情が動く場所を、まず家の中に用意してみようと感じた方もいるかもしれません。誰かの前で泣かなくてもいい場所は、案外そこにあります。
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