山のポーズ(ターダーサナ)——ただ立つ、ではなく、安定して立つ

ポーズの解説

山岳の崖の上で静かに瞑想する女性

ヨガを始めようとして、まず目に入るのは、何かしらの「形」のあるポーズではないでしょうか。片足で立つ木のポーズ、前屈、ねじり。形が分かりやすいポーズから入る方が多いように見受けられます。

この記事は、形が分かりにくいために見過ごされがちなポーズ——山のポーズ(ターダーサナ)について、静かにお話しするためのものです。姿勢を整えたい、けれどどこから始めればいいのか迷っている。そんな方に向けて書いています。

山のポーズは、「ただ立つ」ポーズではない

最初に結論からお伝えします。

山のポーズは、「ただ立っているように見えて、山になるポーズ」です。

そして山になるとは、この大地を体現すること。そこには、安定・優しさ・偉大さ——この3つを全身で表現するという意味が含まれています。

「ただ立つ」のではなく、「安定して立つ」を実感できるポーズ。それが、山のポーズの本質だと考えています。

形だけ見れば、両足を揃えて立つだけのポーズです。けれど、内側で起きていることは、決して単純ではありません。

山が体現する、3つの質

山のポーズが「山になる」ポーズだとすると、まず問わなければならないのは、「山とは何か」ということです。

ここでは、ヨガの伝統の中で語られてきた山のイメージを、3つの質に分けて整理します。

1. 安定

山は、動きません。風が吹いても、雨が降っても、揺らがずにそこにあります。

山のポーズにおける安定は、足裏が大地に根を下ろす感覚として現れます。両足で立つ時、足の裏のどこに体重がかかっているか。母指球、小指球、かかと——3つの点で大地を捉えているか。

意識を向け始めると、自分の立ち方には、無自覚な癖があることに気づくことが多いようです。片足に重心が寄っている、つま先側に体重が前のめりになっている、外側に体重が逃げている。

安定とは、力で固めることではなく、骨格と地面の関係を整えることだとされています。

2. 優しさ

山は、誰も拒みません。登る人、眺める人、山菜を採る人、住む動物——どんな存在も、ただ静かに受け入れています。

山のポーズにおける優しさは、力で立たない、ということに現れます。胸を張って、腹筋に力を入れて、堂々と——そう教わる場面もあるかもしれません。けれど、ここで言う優しさは、それとは少し違う方向です。

ふんわりと、けれど崩れない。力みを抜いても、骨格が立てる場所を見つけている。そういう立ち方が、優しさの質に近いと言えます。

優しさは、自分自身の身体にも向けられます。今日の身体の状態をそのまま受け入れて、無理に正しい形に押し込めない。これも、山が持つ優しさのひとつのあり方だと考えています。

3. 偉大さ

山は、自分を大きく見せようとしません。けれど、誰の目にも、確かに大きく映ります。静かに、しかし圧倒的にそこにある——それが、山の偉大さです。

ここで気をつけたいのは、「偉大さ」と「自分を大きく見せること」を混同しないことです。

胸を張りすぎたり、肩を引いて反らせたりすると、それは「大きく見せようとする立ち方」になります。山は、何もしなくても大きい。同じように、山のポーズは、何かを足すのではなく、余計なものを引いていく中で立ち上がってきます。

海岸で静かにヨガのポーズを取る女性

「ただ立つ」と「安定して立つ」の差

ここまでお読みになって、「結局、立つだけのポーズじゃないか」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。

その通りで、形としては立つだけのポーズです。けれど、「ただ立つ」と「安定して立つ」の間には、はっきりとした差があります。

  • ただ立つ: 日常で当たり前にやっている、無自覚な立ち方。重心の偏りや、骨格の歪みに気づかないまま、習慣で立っている状態。
  • 安定して立つ: 足裏、骨盤、背骨、頭頂の位置を意識し、大地と自分の関係を感じながら立つこと。

この差は、外から見ると、ほとんど分かりません。けれど、立っている本人の感覚は、まったく違うものになります。

姿勢を整えたい、と思って山のポーズに向き合う時、最初に出会うのは、おそらくこの差です。日々の立ち方が、いかに無自覚だったか。そこに気づくところから、ターダーサナは始まります。

山のポーズへのよくある誤解

ヨガを始めたばかりの方から、山のポーズについていくつかの誤解を耳にすることがあります。順に整理していきます。

何もしないポーズだから簡単

表面は静止していますが、内側では多くのことが起きています。足裏の感覚、骨盤の位置、背骨の積み重なり、肩の力み、呼吸の流れ——同時に複数の場所を観察する必要があります。

ポーズの合間の「待機姿勢」

レッスンの中で、次のポーズを待つ時の姿勢として扱われることがあります。けれど本来は、ターダーサナそのものが、独立した重要なポーズです。

腹筋や背筋に力を入れて立つ

力で立つのではなく、骨格と地面の関係で立つ、というのが本来の在り方とされています。力みは、安定ではなく、固さを生みます。

胸を張って堂々と

「偉大さ」と「自分を大きく見せること」は、別のものです。胸を張りすぎると、肋骨が開きすぎて、かえって安定を失うこともあります。

退屈なポーズ

退屈に感じるのは、まだ山になりきれていない時間かもしれません。山になり始めると、立っていること自体に、観察すべきことがいくつも見えてきます。

自宅でできる、最初の一歩

特別な道具は要りません。靴下も脱いで、裸足で立てる場所があれば十分です。

  1. 両足を腰幅か、足を揃えて立ちます。最初は腰幅の方が、感覚を掴みやすい場合が多いようです。
  2. 足の裏の3点——母指球、小指球、かかと——に均等に体重をかけます。
  3. 膝を軽く伸ばし、骨盤を地面と水平に整えます。
  4. 背骨を一本ずつ積み重ねるイメージで、頭頂を天井に向けて引き上げます。
  5. 肩の力を抜き、腕は身体の横に自然に下ろします。
  6. 呼吸を整え、そのまま3分ほど立ってみます。

この時、何かを「する」のではなく、立っている自分を「観察する」ことに意識を向けてみてください。どこに力みがあるか、どこが緩んでいるか、呼吸はどう動いているか。

3分は、思っているよりも長い時間です。途中で重心が偏ってきたら、静かに戻します。途中で意識が逸れたら、また足裏に戻します。

雪山の屋外で静かにヨガを行う二人

立っていることを、観察する時間

山のポーズに向き合うと、自分の身体の癖が見えてきます。片足に重心が寄る癖。肩が前に出る癖。頭が前に落ちる癖。これらは、日常の立ち方や座り方、歩き方の中で、長い時間をかけて身についてきたものです。

そして、その癖は、責めるべきものでもありません。山が、どんな登山者も拒まないように、自分の身体の状態も、まずはそのまま観察するところから始まります。観察は、評価とは違います。良い悪いを判定するのではなく、ただ「今、こうなっている」と知ることです。

姿勢を整えたい、と思っている方にとって、山のポーズは、毎日少しずつ取り組める場所です。3分立つだけで、自分の身体との関係が、少しずつ変わってくることがあります。

ターダーサナという名前は、サンスクリット語で「山のポーズ」を意味するとされています。古くから、立位ポーズの基礎として位置づけられてきたものです。基礎、という言葉には、地味で初歩的なものという響きが伴いがちですが、ここで言う基礎は、すべての立位ポーズが、この立ち方の上に成り立っているという意味での基礎です。木のポーズも、戦士のポーズも、出発点はターダーサナにあります。山として立てない時、その上に立つほかのポーズも、安定を欠いていきます。

つまり、山のポーズは、何かを始めるための土台です。土台が整えば、そこから先に積み上がるものも、自ずと変わってきます。

一緒に立つ時間があると、感覚が掴みやすい

山のポーズは、本や動画で形を真似るだけでは、「山になる」感覚に届きにくいものです。同じ時間に、同じ姿勢で立つ場があると、安定・優しさ・偉大さが、少しずつ自分の中に立ち上がってきます。

オンラインで一緒にポーズを取る時間が週に3回あります。画面越しに、同じ呼吸と動きを共有するクラスです。free-yoga-japan.com から登録できます。


画像: Pexels

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