
ヨガの哲学に興味はあるものの、サンスクリット語が並ぶと身構えてしまう。そんな方に向けた記事です。今回扱うのは、八支則の最初の二段——ヤマとニヤマ、合計10項目のうちの一つ「非暴力(アヒンサー)」を、日常にどう降ろすのかという話。
結論を先に置きます。10項目の中で 一番難しいのは非暴力で、しかも一番意識し続ける必要がある とされる項目です。理由は単純で、非暴力の対象には、他者だけでなく 自分自身の心 も含まれるから。ここに気づいた瞬間から、非暴力という言葉の手触りが大きく変わります。
ヤマとニヤマとは何か
ヨガの古典『ヨーガ・スートラ』(およそ4〜5世紀ごろに成立したとされています)では、ヨガの実践を八つの段に整理しています。これが八支則(アシュターンガ)。
一段目がヤマ(対他の禁戒)、二段目がニヤマ(対自の勧戒)。それぞれ5項目ずつ、合わせて10項目。ポーズ(アーサナ)や呼吸法(プラーナーヤーマ)よりも前に置かれている、いわば土台の部分です。
| 名前 | サンスクリット | 向き先 | |
|---|---|---|---|
| ヤマ1 | 非暴力 | アヒンサー | 対他(自分にも拡張可) |
| ヤマ2 | 真実 | サティヤ | 対他 |
| ヤマ3 | 不盗 | アスティーヤ | 対他 |
| ヤマ4 | 節制 | ブラフマチャリヤ | 対他 |
| ヤマ5 | 不貪 | アパリグラハ | 対他 |
| ニヤマ1 | 清浄 | シャウチャ | 対自 |
| ニヤマ2 | 知足 | サントーシャ | 対自 |
| ニヤマ3 | 自己鍛錬 | タパス | 対自 |
| ニヤマ4 | 自己学習 | スワディヤーヤ | 対自 |
| ニヤマ5 | 神への帰依 | イーシュヴァラ・プラニダーナ | 対自 |
「禁欲」「苦行」と訳されることが多い項目は、原語の意味では「節制」「自己鍛錬の熱」に近いとされています。日本語訳の響きが強すぎて誤解されやすいので、サンスクリット語と併せて理解した方が、原意に近づきやすいかもしれません。
10項目を眺めて、どこから手をつければよいのか戸惑う方も多いと思います。八支則は段階を踏んで一つずつクリアしていく階段ではなく、円のように同時に回り続けるもの、と捉える見方もあります。今回は、その円の中でも特に深いとされる「非暴力」を取り上げます。
非暴力(アヒンサー)に三つの向き先がある
非暴力という言葉を聞いて、最初に思い浮かぶのは「人を殴らない」「暴力的な言葉を使わない」という、対他者の話ではないでしょうか。それは間違いではありません。ただ、非暴力(アヒンサー)を実践の項目として置いたとき、向き先は一つではないようです。
整理すると、非暴力には三つの層があります。
一つ目は、他者への非暴力。言葉、態度、行為。直接的な暴力だけでなく、人を傷つける言い回しや、相手を追い詰める沈黙も含まれます。
二つ目は、生命への非暴力。食べるもの、自然との関わり方、虫一匹に対する扱い。ヨガの伝統では、菜食を選ぶ実践者がいるのも、この層の話です(強制ではなく、それぞれの選択とされています)。
三つ目は、自分自身の心への非暴力。これが、おそらく一番見落とされやすく、しかし一番深い層です。
世間で「アヒンサー」と聞くと、一つ目と二つ目が中心に語られます。けれども、実際に日々の中で非暴力を意識しようとすると、三つ目に出会わざるを得ません。
私自身、八支則を意識しはじめてから、一番難しいと感じているのが、この自分自身の心への非暴力の部分です。
なぜ「自分への非暴力」が一番難しいのか
他者への暴力は、見えます。指摘されます。社会が、ある程度は制止してくれます。
一方で、自分自身への暴力は、誰にも見えません。自分しか止められません。さらに厄介なのは、自分を責めることを「努力」や「向上心」や「真面目さ」として、肯定的に解釈してしまう文化があることです。
「もっと頑張らなきゃ」
「こんなこともできない自分はダメだ」
「あの時ああ言えばよかった」
こうした内側の声を、長年、自分への暴力だと認識せずに浴び続けている人は、おそらく少なくありません。むしろ、そうした自己批判を持っていることが、誠実さの証だと考える向きもあります。
ただ、ヨガの非暴力という枠で見直すと、これらは静かな暴力の一形態として浮かび上がります。自覚されないまま、長く、深く続いてしまう。だから難しい。
非暴力は「自分が穏やかでいるための実践」
ここで一つ、視点の転換があります。
非暴力を「他者のための倫理」として捉えると、どうしても義務感や努力目標になってしまいます。そうではなく、非暴力は、自分が穏やかでいるための実践 だと捉え直してみる。
自分の心を暴力で扱えば、自分が穏やかでなくなります。
他者に暴力的な言葉を投げても、その後で穏やかでいられる人は少ないはずです。
非暴力を選ぶことは、結果として自分の内側に静けさを残すことになる。
この見方に立つと、非暴力は他者のために我慢する話ではなくなります。自分のための、ごく実用的な選択になる。だからこそ、毎日意識する価値がある、ということになります。
自己鍛錬(タパス)と矛盾しないのか
ここで気になる方もいるかもしれません。
「自分に厳しくしないなら、努力はどうなるのか」
「自己鍛錬(タパス)はニヤマに含まれている項目ではないのか」
その通りで、ニヤマの三番目にタパス(自己鍛錬)があります。原意は「熱」。自分を磨くための持続的な熱量、というニュアンス。
非暴力と自己鍛錬は、矛盾しないとされています。
両者の違いを、あえて言葉にしてみると——
- 自己鍛錬(タパス): 自分を育てるために、続ける熱
- 自分への非暴力(アヒンサー): 自分を壊さないために、責めすぎない静けさ
育てることと、壊さないこと。両方が同時に必要で、片方だけでは成り立ちません。育てるつもりで壊している、というのが、私たちが陥りやすい状態なのかもしれません。
タパスの熱と、アヒンサーの静けさ。両方を行き来できる人が、結果として長く続けられる、と言われています。

日常に降ろすときの、小さな問い
ヤマとニヤマは、修行者のための特別な戒律ではなく、日常の中で動かせるものとされています。
ただ、「動かす」と言っても、急に10項目を意識するのは現実的ではありません。
一つだけ、日常に降ろす入り口として、自分への非暴力に絞って問いを置いてみる方法があります。
例えば——
- 今日、自分に向けた一番きつい言葉は何だったか
- それを、他人に向けたら、自分はどう感じるか
- もし同じ状況の友人がいたら、自分はその人に何と言うか
- 自分自身には、その言葉をかけていただろうか
特別なことは何もありません。問いを一つ持って、一日を過ごしてみる。気づいたら、書き留めるか、息を一つ吐いてみる。
これだけでも、自分への非暴力の輪郭が、少しずつ見えてきます。
誤解されやすい点について
最後に、いくつか補足しておきます。
「自分を責めない」は「努力しない」と同じではありません。先に書いた通り、タパス(自己鍛錬)は別項目として並んでいて、両者は共存します。むしろ、自分を責めすぎない人の方が、長く努力を続けられる、という見方もあります。
「自分を大切に」というスローガンに回収しないこと。自己肯定感ブームの言葉と、ヨガの非暴力は、表面的には似て見えるかもしれません。けれども、ヨガの非暴力は、2500年ほどの伝統の中で磨かれてきた実践の項目であって、一時的な気分を高めるためのものではありません。深さの種類が違う、と言ってもよいと思います。
メンタルヘルスの専門領域とは分けて考えること。心の状態が大きく揺れているときは、ヨガの哲学だけで対処せず、適切な専門家を頼ってください。非暴力という言葉は、自己治療を勧めるものではありません。
ヨガの非暴力を、自分の生活に置いてみる
ヤマとニヤマの10項目は、外から眺めると抽象的に見えます。実際に動かそうとすると、最初の一項目「非暴力」だけでも、十分に深いことが分かってきます。
特に、自分自身の心への非暴力は、誰にも見えない場所で起こる実践です。だからこそ、定期的に立ち止まり、自分の内側で何が起きているかを観察する時間が必要になります。
ヨガの伝統は、本を読むだけでは身体に入ってきません。古くから、ヨガは実践を通じて伝えられてきました。哲学の項目もまた、ポーズや呼吸と一緒に、身体で受け取っていくものとされています。
伝統的なヨガを、日本語で、自宅から、無料で実践できる場があります。free-yoga-japan.com で開いている週3回のオンラインクラスでは、ポーズだけでなく、呼吸と心の整え方も併せて伝えています。

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